4/26/2022

2021年もあっという間に過ぎた

書かない私がいる。いや、書けない? 

多くの時間をひとりで過ごしているから、私の頭の中には常に言葉が流れている。そして、新鮮な驚きや感動も沢山ある。それに溢れていた2021年だったのに、残念なことながらそれを言葉に落とすことはなかった。 

旅を続けていると、どうしても旅のリサーチとそれをFacebookに記録として残すことに多くの時間が費やされてしまい、なかなか自分の気持ちや感情を文字に残すことができないでいる。ましてや今現在は車を運転して移動する旅に変わってしまっているからなおさらのこと。 

ぼんやりとした隙間時間にこのブログサイトを訪れ、ついに丸1年間、2021年の記録を書かなかった自身を知って唖然とした。あんなに、言葉を思いを文字に落とさないと気が済まなかった私の人生であったのに。ここに自身の老いを感じずにはいられない。 




2020年末から始まった、房総でレンタカーを借りての「車の運転の練習をする」生活。2ヶ月契約のレンタカーの1台目を深く擦り、3ヶ月目は少しグレードアップした車にして2週目早々に車体に大きな傷をつけた。それで大騒ぎしているときにADDress拠点にいたおっさんに「雅ちゃん、もう自分の中古車買っちゃった方が早いんじゃない?借りたるたびに免責料金払ってたらもたないよ」と言われて、そのままオンラインで車を物色して出会った車。見つけて電話して15分ほどで即決してキャッシュで購入。内装まで白とベイビ^ブルーにペイントされた可愛いカスタム車だったので、誰かに買われる前にとかなり焦った上での即決だった。 

たまたま見つけたその車が北九州市にあるガレージで納車だったので、3月末から4月にかけて沖縄旅行を予定していたことから、その後に福岡空港で降りて車をピックアップし、そのまま九州四国地方を車で旅してしまえというとんでもない展開が起きてしまった。 

生まれて初めてのドライブでの長旅はひどく興奮するもので、それ以前にした東欧での旅の興奮に劣ることはなく、それどころか肉体的にはかなりきついものだったにもかかわらず、それさえも感じないままに3800kmを駆け抜けた。 







瀬戸内地方を周っている頃に誕生日が近づき、恒例の如く素晴らしいホテルでその朝を迎えるべく、還暦の誕生日は直島の「美術館に泊まるベネッセ」を選んだ。 

考えてみたら2018年はミャンマーのインレーレイク湖畔のホテルで、2019年はセルビアはベルグレードの格式高いホテルで迎えていたのだよな。なのに、2020年の59歳の誕生日は付き合っていたおっさんの家の硬い床の上で目覚めて、誕生日に何も用意してくれていない彼にブチギレたんだよな。 繋がって半年、コロナもあって実質3ヶ月ほどの付き合いだったけれど、あの恋愛は本質的な自分を知る良い機会だったと思う。

あの時彼と語っていたこと。将来の話。「いつか(多分に彼がリタイアしたら) HONDA N-boxを買って旅に出よう、四国を旅しよう」を語っていたことは、彼の存在なくして、将来を待つことなくしてあっさりと自分で成し遂げてしまった。 

「おひとりさま」が楽しすぎる。

私は男がやってくれることを待てない女だし、男が躊躇することでもサクサクとやってしまう女だということも自ら証明してしまった。多分にこんな女性を男性は恋愛対象として望まないし、私も「自分の男」に対しては自分を顧みずに不満は募るしビッチになるから、男がいない時の方が精神状態も落ち着くし、誰のせいにもしない自分であるからこっちの状態の方が望ましいと分かっている。私は男と一緒にいない時の自分自身の方が好きなのだ。それを痛感し切った還暦の誕生日だった。 




6月に地元で免許更新のリミットがあると気づき、悠長に北上している時間はなく、徳島でフェリーに乗って関東に戻り実家に戻った。その時に相当に疲労していて、市の集団検診の機会があったので受けておいた。7月に結果が出た頃、私は御宿で背中と腹にくる不快な痛みに耐えていて、それが腎臓疾患と判明して大わらわだった。 

御宿は本当に美しいビーチがある静かな街だけれど医療機関に乏しく、その辛い経験で「田舎に住む」という選択がこぼれ落ちた。別れたおっさんとは「古民家を買って田舎に住む」という未来も語っていたけれど、昭和の家がどれほど寒いかという現実をADDressの旅で嫌というほど思い知った。だから、今現在は極めて普通な現実的な住居空間を求める私に変化している。 

旅に夢中になり過ぎて身体を酷使し外食に明け暮れていた私は、内臓を休めるためにも地味な自炊生活を営む7、8月を過ごしたけれど、ムズムズは治らず9月には再度長期の旅に出た。旅の始まりは人生初の車中泊だった。そう、「いつかは車中泊」の夢が叶ったのだ。

南伊豆の温泉付き拠点から静岡へと周り、ゆっくりとしたペースで拠点巡りをしていたものの、神奈川の途中でやはり疲れは出てきていた。 実はこの旅の途中で私はエベレストを目指すという男性に出会い、感化され、人生初のトレッキングシューズを購入。それからは憑かれたように機会を見つけてはトレッキングに出かけていた。 

11月に三浦から南房総へ移動する過程の最終段階でマックスの疲れを感じ、やはり旅の限界は3ヶ月なのだなと知る。ペースを落として始めたはずなのに、やっぱり途中からテンションが上がってしまい無理が祟った。 

気持ちは旅を続けたいのに身体がついていかない。そんなジレンマを感じさせられた年だった。



ADDressで出会う人々が地方に旅をして土地に惚れて移住を決めたり「終のすみか」を見つけたりしているのを知ると、無性に羨ましく感じる私がいた。

2015年の1月にサンフランシスコの家を出て以来私は延々と旅をしている。リタイアメントの移住先を見つけるはずの旅なのに、どこにも引っかからない私。完璧な男がいないと同様、完璧な場所というのもないのだと思う。実際どこでも楽しめるフレキシブルな自分だからどこにでも住めそうな気がするが、でもどうしてもここに住みたいと思う自分もいない。 そう考えた時、ふと「どこにでも住めそうな自分になったなら、地元宇都宮にだって住めるんじゃね?」というアイデアが浮かんだ。

小さな思いだったが結構衝撃的なインパクトのある思考だった。「宇都宮に住む」というのは、最後の最後に出てくるオプションだと思っていたから。 

私は地元にはネガティヴな思い出しかない。友人もいない。家族から逃げて、日本社会から逃げて、地球の反対側にまで逃げたけれど、いつも恋しかったのかも知れず。ただ自分は「受け入れられてもらえない存在」そう思っていたのだと思う。 

将来の移住地を決めるとしたら、地元栃木県を最初から削除するのはフェアじゃないよな、と素直にそう思った。ダメかもしれないけれど、一応トライする価値はあるよな、とも思えた。高齢の母は「あと2年かな」とか言っているし、それ以上長生きするかも知れないけれど、せめて母の最期だけはちゃんと看取れる距離にいたいと思うし、だとしたらこの制限付きの期間、宇都宮に住んでみるというのも良いかもしれぬ。そう思って何気にシェアハウスのポータルサイトを覗いていたら、2年前横浜に引越すときに見て憧れを抱いた部屋が空いていた。当時は満室になっていたから宇都宮には住まずして、横浜に良いシェアハウスを見つけたのだった。 

全てはタイミングなのだと思う。ふとした思いつき、条件、機会がぽっかりとドアを開けていたらそこに飛び込むしかないのだろう。 

人生何が起こるか分からない、と自分自身の決断に驚いた。いや、実際にはそれほど大きなそして困難なムーブではなかったのだけど、昔の私が知ったら「ありえないこと」と絶対信じることができないだろう。ある意味これは私の人生のトラウマを覆す大事件であるのだからして。 




 2021年末に御宿を引き払い、2022年1月5日に私は今現在の宇都宮のシェアハウスに入居した。そして「定住」はしているけれど、今までと変わりなく小さな旅は続いている。

毎日は「栃木を掘る」ことに費やされている。